武道と勝敗

私が合氣道開祖植芝盛平翁先生を尊敬し、指導を受けたいと思った動機は、 翁先生はあらゆる武道家に挑戦を受け、敗北した事はなかったという伝承をお聞きしたからです。
       
古来の武道家は何流を倒したと、勝を語っているが、翁先生は勝っても相手の名前を言わない。
他の人から色々と大勝の話を聞いたが、ある時翁先生に昔の試合のお話をすると
「あれは試合ではない。みせただけじゃ、其の様な事を正式に発表すると、相手が立ちあがれない」と申された。
「武道は勝敗を競いあうのでなく、お互いに研究して自己を錬磨するのが日本の武道じゃ」と聞かされた時、翁先生の偉大な心に感服し、私は先生の指導を受け一生涯、先生の様な心で送りたいと思い合氣道の求道者となりました。


猫の様に受けなさい

翁先生は、何時も自己を忘れ他人が幸福になる事ばかりを話して下さった。

稽古の時に技を掛けられ、大きい音をたて受けを取ると「身体に良くない、 猫の様に受けなさい、其のような受けは石畳の上では出来ないよ」と注意され「合氣道は力で倒すのではない。相手が倒れても、どうしてこんなに、倒れたかと思う様な技でなければならない」と言われました。

私が先生に投げられた時は何時も、綿か雪の上に倒された感じでありました。


私は無、だから倒れない

合氣道は武道であると翁先生は言っている。だが翁先生は相手を倒す事を書いた書物は一つもない。
翁先生は何時も「私は無、だから倒れない」と言っている。そして「武は愛なり」と解いている。

しかし現代の稽古は当て身の格好したりボテ−ビルをしたりして、相手を倒す稽古をしているが、此れでは翁先生の残された合氣道ではない。

真の合氣道を学ぶには、道文の法則を研究し判れば相手がいかに倒しにこようが自己が思うままに導く事が出来る。だから相手に痛みも無く愉快に稽古が出来る合氣道は不思議な武道であります。

               

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