(武産居士遺稿)
武神 植芝盛平翁 --武術から武道(合気道)へ--

合気道は和歌山が生んだ武聖植芝盛平翁先生が永年研究の結果創始された独特の武道です。
翁先生は五尺二寸(157.6cm)の小身で八十余才まで能く大力、武道家を踊らし、叉群がる猛者を舞うように投げ、素早く白刃の下を縦横に飛び交う技は正に神技そのものでありました。

その稽古方法を解り易く正しく師弟を鍛練するとき、理法に基づき精神の鍛練を第一とし、力を必要とせず、精神を技に現わし実在の力となす秘法は、顕幽一如、心身不二、正に宗教の奥義叉実践の哲学ともいうべきでありました。

合気道は終戦と同時にその門戸を一般に公開したところ全国各地より武道家が正しい理法を学び精神の在り方を悟り、人生の奥義を極めんとする人々がその数を増し、国内はもとより海外にまで発展しています。

開祖翁先生は、若年より武道を志し家業を継がず諸流の門を潜り、稽古に当たり堪え難きを堪え遂に起倒流、相生流、柳生流、大東流、竹内流、槍術宝蔵院流、等あらゆる武道の奥義を極め、また現代の柔剣道にも関わり、柔道創始者嘉納治五郎先生、剣道の高野佐三郎先生、居合の中山博道先生方と交流があったそうです。

その昔、日露風雲を告げるや自ら志願して戦陣を駆け巡り、真剣白刃のなか実践武道としてその名を轟かし、帰還後天下第一の武人を志し、更に全国を巡りその技を競うこと数知れず栄光を欲しいままにしました。

当時翁先生の心境は、強ければ良し、何人にも負けぬ一点張りにて肉体を鍛え胆力を練り技能を磨くことに没頭していたが、それでも只一個の武道の覇者でしか有り得ない、何故に天が自己の為に命を下さるのかという解け難い疑問が生じ、何時しか心に従来の武道にして一歩も許さぬ大障害に打ち当たりました。

五尺の小身如何に強いとて天地より見れば広い大海の一葉に過ぎず強弱を競うて何の益がある。眼前の相手を破ることができても心中の賊を払うに由無しと大いに迷い悩み、遂に武道を放棄し宗教に心を潜め哲学に思いを致し巌頭に座しあるいは滝に打たれ求道のため凡ゆる難行も辞せず、専心心眼の解暁に粉骨砕身して居たところ、一日の行を終えて下山の途中忽然として五体の束縛を脱し天地の霊体を有する法悦の涙に咽び自己の進むべき道を大悟しました。

そして強ければよし、相手を倒せばよしの武道は誤りなるを知り、従来の障壁もすっかり取れ、武は愛なり、天地の心をもって我が心とし万有愛護の大精神を以て自己の使命を完遂する事こそ真の武の道で有らねばならぬ(武とは戈を止める)、自己に打ち克ち敵をして戦う心を無からしめ敵そのものを無くする絶対的自己完成の道で有らねばならぬとの確信を有するに至りました。

以来翁先生の技は岐烈に代わるに寛宥を以てし、豪胆に代わるに円熟を以て心欲するところに従って法則を超えず、手の舞足の踏むところ往くとして可ならず、至妙境を備うる迄に至りました。眼中敵も無ければ白刃も無し遂に武術脱皮して天道に基づく合気道を創始するに至りました。

開祖翁先生高齢の身に鞭打って門弟にこの法を自ら体を以て表現、実在の形を以て説き人類平和の基礎を築かんという悲願の姿に、心ある者皆襟を正しむるところでした。

開祖翁先生昇天せられし現代、合気道の技を学び心身修養するんには開祖の道文を研究し一霊四魂三元八力の言霊の意味を習って稽古すれば、人間完成の道へより大きく進むことが可能です。
そうする事が開祖翁先生にお報いする道であると固く確信致します。

               

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